クロユリさんと一月   こばやしぺれこ


 クロユリさんは猫又だ。真っ黒で夏の夜のように手触りの良い毛皮と、金色で冬の空に浮かぶ満月のような目を持っている。私はクロユリさんの毛皮も目も大好きだ。
 クロユリさんは猫又だから、尻尾は二股だ。クロユリさんの尻尾はお団子尻尾で、クロユリさんはそれがあまり好きではないようだ。でも私は、クロユリさんの二股お団子尻尾が大好きだ。
 クロユリさんは捨て猫だ。正確には、捨て猫又だった。
 猫は、十五歳を越えると徐々に猫又に成る。
 クロユリさんもそうだ。もとはただの黒猫だったクロユリさんは、十五歳と半年で猫又に成った。二本足で立ち、言葉を話し、様々なことを理解した。
 元の家族は、クロユリさんの残り十五年の面倒を見ることはできない、といってクロユリさんを手放した。
 そして私は、猫又自立支援団体の紹介でクロユリさんに出会った。

 仕事が休みの日曜日は、クロユリさんと買い物に行く。用事がある時は、電車やバスを使って遠くまで。今日のように、晩御飯の買い物だけで良い時は、歩いて近所のスーパーまで。
 クロユリさんは、私のあばらの真ん中あたりまでの身長しかない。猫又としては、大きい方らしい。けれどやっぱり人にとっては小さいから、私はいつもよりゆっくり歩く。
 ゆっくり歩く。急いで化粧をしてスーツに着替えて飛び出して、会社に行くため毎朝せかせか歩いている道を。適当に眉毛を描いて毛玉のあるセーターに着替えて、スーパーに行くためクロユリさんと並んで。
「今日はあたたかいねえ」
「そうですね」
 穏やかな午後の日差しを浴びて、クロユリさんの瞳孔は三日月よりも細くなっている。髭の先がきらきら揺れる。
 住宅街の中を通る道は、日曜日とあって車の通りも少ない。いつもの朝は危なくてクロユリさんに歩かせられない。けれど、いつもこうだったら毎朝駅までクロユリさんに見送ってもらいたい。それなら、平日の朝でもばっちり起きられるのに。
「クロユリさんは何食べたい?」
「わたしは親子丼の気分です」
「そっかぁ私も親子丼がいいなぁ」
 クロユリさんの耳に、光が透けている。黒くて手触りの良い、ずっと触っていたくなる耳。
 本当はお刺身が食べたいな、と思っていた。けれど、クロユリさんの作る親子丼のことを考えたら、気持ちは親子丼へ流れていった。

 クロユリさんは住み込みの家政婦だ。毎日2LDKを隅々まで掃除してくれて、洗濯をしてシャツにアイロンを掛けてくれて、三食のごはんを作ってくれる。平日はお弁当だ。
 猫又が自立して生活するのは、今の社会では難しい。猫又の権利は今のところ動物と同じだ。どうしたって、誰かが保護してやらなければ、猫又の生活は守られない。
 私だって、初めは人を雇うよりもかなり安く済むから、という理由で猫又の家政婦を探したのだ。
 今は、ただただクロユリさんとの生活が楽しくて仕方ない。

 スーパーまでの道すがら、小さな公園の前を通る。ブランコとすべり台があるだけの、必要最小限の公園だ。日曜でも遊んでいる人は少ない。
 今日は珍しく、小さな子どもを連れた男性の姿があった。高い声を上げて、子どもが走る。
 公園の前で、クロユリさんは立ち止まる。金色の目は、狭い公園を走り回る子どもを見ている。
 私も立ち止まる。公園を、きっとその先にある思い出を見ているだろうクロユリさんを、見ている。
 私はクロユリさんが猫であった時のことを知らない。元の家族についても、何もしらない。ただ、クロユリさんが小さな子どもを見る時の目から、粗末な妄想を巡らせたりするだけだ。
 クロユリさんを捨てた家族のことを、私はきっと好きになれない。どんな事情があったとしても、目の前に居たら嫌味のひとつでも言ってやりたくなる。クロユリさんが、まだ彼らのことを好きであっても。
 だからあまり考えないようにしている。
 クロユリさんはクロユリさんで、猫であった時の名前は置いてきたのだ。
 初めて出会ったクロユリさんが、名前は無い、と言ったあの時に。
 クロユリさんは、私が両親の仏壇に供えた百合の花に似た雰囲気で、真っ黒だったからクロユリさんなのだ。

「サラダに海老を入れてもいいですか」
「うん、いいね」
 クロユリさんの金色の目が私を見上げていた。鼻先まで真っ黒なクロユリさんの、たまに覗く牙は真っ白だ。
「屋台が来てたら今川焼き食べようか」
「わたしはこしあんがいいです」
 クロユリさんの歩みに合わせて、私はのんびりと歩き始める。
「ところでユキは歩くのが遅いですね」
「いざとなったらもっと速いよ?」
「ほんとですか?」
 平日五分で歩ききる道を、十五分かけて歩く。
 それが私の日曜日の過ごし方だ。




こばやしぺれこ
作家になりたいインコ好き。好きなジャンルはSF(すこしふしぎ)

写真から思い浮かんだ二つの光景です。二つの話に関わりはありませんが、同じ写真から全く別の二つが浮かびました。
どちらも私にとってはすこしふしぎな世界です。よろしくおねがいします。